Culture

 

マーシャル諸島の文化

独特の文化的な技術と技能:

2000年前あたりで、マーシャル人は環礁や太平洋の環境に十分に適応した独特の技術を発展、洗練し完成させてきました。

 

例えば、漁業技術は非常に高度なものとして発展し、広範囲な漁業環境は、漁業技術の高度で専門的な技術と魚の種類に応じた漁獲の方法と一体化することにより発展を遂げました。

世界中のほかのいくつかの文化もマーシャルの多くの漁法技術やスタイルと同様に発展してきたのです。

 

マーシャルカヌー(マーシャル語でワ [Wa])は、小型から外洋航海用の大型高速カヌーまであり、幅広い用途に使われ1800年代前半にマーシャルを訪れた「オットー・フォン・コツェブー(Otto Von Kotzebue)」から今日の世界的なセーリングファンまでの西洋人に人気があります。

 

マーシャルカヌーが左右非対称の船体、風下に向いた船体、継ぎ足すことの出来る船体中央部のマストなど高度で精巧な技術で作られていることは誰もが知っていることです。

伝統的なマーシャルの航海術はさらに洗練され、マーシャルへ最初の入植者が着いたときには、彼らはすでに複雑な航海技術をもっていました。それがなければマーシャル諸島にたどりつけなかったであろうし、そして時の経過とともにこれらの技術は磨かれていったのです。

最終的には、これらを通じてマーシャル人は自然の力や微妙な兆候を読み取ることを学んでいったのです。訓練されたナビゲーターによって容易に読み取ることができる手がかりとして星、雲、波、潮の流れ、風、鳥や海の色でさえも使ったのでした。

海の知識とカヌーのデザインの両方の発達は、北はウエーキ島、西はポンペイ、南はキリバスまでの航海を可能にしました。

 

新天地を求めて太平洋へ:

およそ5000年前、最初の移住者が東南アジア(特に東南中国や台湾)から移り住んだことが、太平洋地域における入植の先駆的なものとなりました。20003000年前の間の何百年ぐらいかかり、絶え間ない海上移動手段や農業技術の向上により移住者は、現在のニューギニアの北岸に沿って東南方向へと進んで行きました。その東南方向とは、今のソロモン諸島、バヌアツ、ニューカレドニアなどのメラネシアの国々やフィジー、トンガ、サモアや多分東ミクロネシアに含むと考えられている中部太平洋を指します。

 

言語学者によると、東南アジアから最初に移住してきた人々は、オーストロネシア語族を話しており、それは現在太平洋に住む民族が使っている言葉に近いものでした。そして、考古学、言語学、生物学などの異なる分野においてゆるぎないものとなり理論的にもコンセンサスを得るようになっていったのです。

 

新天地としてのマーシャル諸島:

考古学ウエッブサイトでは最近の放射性炭素による調査からマーシャル諸島は、今から2000年あたりに形成されたとされています。このことは、紀元前後半から紀元後早い時期あたりから人間の活動があったことを物語っています。

マーシャル諸島で発生した定住パターンについて議論の余地を残しているとは云え、マーシャル諸島は、この地域から南や南西方向へ移住したことは一般的に知られていることです。言語学、文化的、生物学上の形跡が、東メラネシア・キリバスお互いの地域においてマーシャル人とつながりをもっていることも証明しています。

 

植民地としての歴史:

マーシャル諸島は、早い時期からの西洋人の来島や植民地統治よる特異な植民地時代の歴史をもっています。植民地の歴史の影響は、現代のマーシャル諸島の姿をよく表しています。

マーシャル諸島と西洋社会とのつがりは、早い時期からあり、最初のヨーロッパ人としてスペイン人が太平洋へ航海するようになりマゼランは1521年(室町時代)にグアムに上陸しています。この時期には少なくとも8隻のスペイン船がマーシャル諸島を通過しています。

これらの短期間に、マーシャル人は西洋人とのコミュニケーションをとることに成功し、彼らと最初の取引をするようになりました。

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

マーシ ャルの文化

年代や起源についてまだ議論されているものの、これらの島々でユニークな文化が発達したことには間違いありません。

マーシャルの社会は、今でもそうですが、3つの階級に分類されており、それは、イロイジ(Iroij)と呼ばれる大酋長、アラップ(Alap)といわれる部族長そしてリジェルバル(Rijerbal)の労働者です。イロイジは土地の所有や利用権限、配分、紛争解決などの最終的な処理をする権限を持ち、アラップはイロイジの委託受けて日常的に土地の整備や管理を行います。リジェルバルは生活、建設、農業などを日常的に行うこととされています。

さらに、所有地は12のカテゴリーに分けられ「Imon bwij」から「Kitdre」の系族にランキングされ所有地は夫から夫人へ贈り物として譲り渡され、継承は母親を通じてなされる母系社会を基盤とした制度です。

http://www.visitmarshallislands.com/images/guidebook/mivaboat80.gif

米船スクーナー号の船長ドルフィンが1824年(文政7年)に来島したときの話として・・・

「マーシャルカヌーは非常に精巧にできており、文明国において人間の手による比類無きものであることは疑う余地がない。驚異的な速度で水上を動き、風上に方向転換したりしてボートの性能を凌駕している。」

 

ロシア船ルーリックが1820年(文政3年)に来島したときの話として・・・

「彼らの操船は効率よく折りたたまれたマットや芸術的な型、横風を受けないような仕組みとなっている。我々と同時に出発したカヌーがルーリック船と同じ早さで航海したことは驚くべき事である。」

 

http://www.visitmarshallislands.com/images/culture/stickmap.gif 太平洋のすべての島の人たちは何らかの航海術をもっていますが、おそらくマーシャル人はこのスキルを教える高度な方法も編み出したと考えられます。

後ろに横たわる外洋において、若い人たちは、彼らの真下にある波の感覚を身につけたりするのに多くの時間を費やしました。それは、波のパターンによって島をみつける技術を習得することでもあるのです。

加えて、様々な種類の航海用のスティックチャートや形状は、島々、環礁や環礁間の複雑な波や風のパターンを表現することを編み出しました。

これらのチャートは若い人たちに波の見え方や膨らみパターンの確認などの複雑な航海術の考え方を一層容易に説明できるようになったのです。

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 
 
 
 
 
 

 

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